タイ国イサーン地方サコンナコン県便り

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zoom RSS ブログ57弾:サバーイとはその2(知人への手紙抜粋)

<<   作成日時 : 2011/08/22 00:11   >>

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ブログ57弾
タイ人児童を教える実態(サバーイとは?A)(知人への手紙抜粋)
私の生徒数は2年生3年生の全員なので、600名という多数の数になります。
財政事情からか、タイに於いては少人数クラスの理想がいまだに実行されておりません。
私学ではより少なめ(約40人)ですが、国立公立ではいまだに一クラス50人の多さです。
2年生6クラス、3年生6クラス、合計約600名が私の生徒です。

毎週毎週、プリントの採点が大変です。
各学年のマル付けに約2時間〜2時間半かかります。
これに12クラスを掛けると、30時間になります。
空いた時間にマル付け作業をしなければなりません。
単なるマル付けだけではなく、添削や生徒奨励の為のスタンプ押しや成績記入管理もあります。
私のマル付け作業は、トップクラスのスピードを自負していますが、
どんなに頑張ってみても50人一クラスの採点と成績記入には最低2時間はかかります。
週3日の指導であっても、毎日フルに働いている事になります。
月曜日から水曜日に(毎日4時間)学校に出掛けます。
木曜日には25キロ離れたドンマファイ町のP小学校(年中80人年長70人)、
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金曜日は6キロ離れたN幼稚園(年小年中年長約100名)に出掛けます。
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異国の幼児達に日本語を教える事は、
ホスピタリティー精神・愛ラブ光線を振りまきながらの体力勝負の授業です。
授業と通勤の疲れからか、帰ったら横たわる日が増えてきています。

日曜日には、50キロ離れたパンコン町のプライベート授業に出掛けます。
唯一、決まった授業が無いのが、土曜日だけです。
(お隣りナコンパノム県から、約2週間に1回日本語を勉強しに来る生徒Aがいます)

土曜日は外の天気に関係なく、私の衣類洗濯日となっています。
生徒指導のためのコピーやコンピューター入力、膨大なマル付けの合間に、
手で洗濯をしています。

5年生課外授業に空手を教えてやってくれ(チュアイカン・ハイノォイ(助け合おうネ精神で無報酬でヨロシク)と言われ、これも行なっております。
空手を教える事も大いに意味あることなので、これも了承した「めでたい私」です。
こんな事もあろうかと、春休みバンコク出稼ぎに再度空手(剛柔流)をまなびました。
かつてロンドンケンシントンStで松涛館流を学んだため、空手4大流派の3つ(大学時代に習ったのは糸東流)をかじった事になります。
他の流派を学ぶ事で、少しは空手の全体が見えて来ます。
流派各々に微妙な解釈と実践の違いがあります。
それを改めて知り得たことは良かった事だと思っています。
剛柔流の型の良さを、今回初めて知る事が出来ました。
学ばなければ分からなかった事であり、
その機会を与えてくださった道場師範先生に感謝致しております。
この先生からは、多くのものを学ばせてもらいました。
先生が苦しみの中で情熱を発揮され、頑張って来られた証しが、
道場生達の素晴らしい空手形に表れていました。
ここまでに至る大変さが、自然と感じられました。
ものを教える事は誠に大変ではあるが、
この世で最も価値高いものの一つである事を深く強く感じました。

現勤務小学校の副校長は、
日本語指導はいいからもっとそろばんをやってくれと言いますが、
私はスキを探して生徒にひらがなを書かせています。
そろばんを熱心に学ばない生徒であっても私の大事な生徒です。
その子たちに学びの機会を与え、私のファンとし、
結果そろばんを頑張ってくれたらと思う私の愛のアイデアです。
出来る事からコツコツとの結果が、少しずつ出ております。
綺麗なひらがなが書ける子供が沢山出来ました。
更に多くの時間がかかろうと、出来るだけ丁寧な添削に努めております。
一部タイ人子供達の日本語発声が、少しは日本人らしくなってきました。
ひらがなの美しさもアップしてきています。
「もっと前に向かってくれ〜。」の気持ちで、
日々教えております。

昨日一日中雨が激しく降り続きました。(フィリピン大洪水の頃)
タイ恒例の雨漏りの補修作業(天井のガムテープ張り)で、私はくたびれました。
こんな家、早く出て行きたいとおもいながら、テープを張り、床を拭いていました。
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時にうだるように暑いタイといい加減な考え方のタイ人達に、
私はほとほと疲れ切っております。
タイ人の子ども達を教え育てて行く事は、相当に難度が高く、とても疲れます。
1年生に全員起立して出来ていた挨拶が、2年生になるとしません。
起立しなさいと言っても、座っています。
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病気ではなく、なまけものです。
「キィーキィアット」(=「怠け性格・怠け癖」)の態度は、
自分にとっての「サバーイ」
(=自分が感じる気持ち良さ、他の人の事は関係ない自分だけが手に入れたい欲望の思い)
を手に入れたい、
言わば自己の欲望を優先して、前に立っている先生をないがしろにする態度につながって行きます。

座っていた方が、楽なのかもしれません。
先生に挨拶の言葉を発するのにも、少しはエネルギーが要るかもしれません。
しかし、立っている先生に対して、
生徒も立って挨拶する事はごく当たり前の何ともない普通の行為であって、
シンドイとか楽とかの次元の話しではないと思います。

立たない原因とそうなってしまった背景理由は色々と考えられます。

挨拶というのは、無意識に自然と出来るようにならなければなりません。
挨拶しようか、挨拶しないでおこうかと一々考えてその行動を選択する性質のものではありません。
知っている人に会ったら自然と挨拶する事が当たり前の事になっていないから、こういう事になります。

性格変えなさいよとプライベートタイ人3年生男子に言った事があります。
母親が丁度同席していたにも関わらず、
「(先生、)性格は変えられないな。」
ニサァーイ(性格)プリアン(変更する)マイ(Not)ダーイ(出来る)
と生意気な返事が返って来ました。
こんな生意気な態度であれば、
日本ならピシャピシャとやっていた私ですが、
ビザ無しでは生きていけない弱者の私は黙って彼を見つめるしかありません。

根本性格は変えられ(持って生まれた根本は変えられない)なくても、
社会に生きる人間として変えて行かなければならないものがアルヨと
教え諭さなければならない、
こういう事を諭すのは、とても面倒臭い事です。
面倒臭いと自ら感じ、生徒をしつけて来なかったタイ人先生達の数が非常に多いです。
その結果(生徒側だけでなくタイ人先生たちの「面倒臭い病」)のもたらす結果が、2年生から始まるであろう無起立(私は立ちません)現象です。
タイ人子供全員がそう(先生が来ても起立せずに座っている)なのではありません。
そうだったら、学校での授業そのものが成り立ちません。
でも立たない生徒の比率は、日本(例え下降傾向の現在日本であっても)とは比較にならない数に上ります。
先生が入室したら生徒がさっさと全員起立する、かつての日本のような姿はここにはありません。
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タイではクラス内の構成児童メンバーを変えずに進級します。
1年生の時と同じクラス仲間が6年生まで続いて行きます。
算数の計算を熱心に教えたかどうかが、2年生生徒達の現在の計算能力として、
見事に「過去に為した生徒への教育結果」が目の前に現れています。
生徒達の実態は、クラスにより大きな差があります。

過去の担任先生の教育姿勢や躾け方が、現在児童の授業態度や姿勢に反映しています。
タイ人先生の過去の怠慢がもたらした「落ちこぼれさせられた生徒達」を
私が引張って行かなければなりません。
そろばんを教える事が私の仕事です。
しかし、生徒が黙って話を聞き、素直に従い、一生懸命勉強するなら、私以外の誰でも教える事が出来ます。
生きた生身のタイ人悪ガキ児童が、目の前で走り回り、時に悪態をついてきます。
注意しないで放置していたら、明日以降の授業は存在しません。
「静かにしなさい。」と注意しなかったら、いつまでも喋り捲っています。
泣いている子供がいたら、すぐさまソレを発見し、問題ポイントを探り出し適切な処理をしなければなりません。
単にボーッと聞いているような生徒達に、更なる熱心な聞く態度を引き出していく為に、
更なる指導光線を送らなければなりません。
黒板前に立って大きな声を出して説明する中で、
生徒が実際にそろばんの珠を動かしているかどうかを私は観察しています。
「生徒を正しく観察出来る力」がなければ、生徒を教え引っ張って行く事は出来ません。

起立しないから、その人間性全てがダメなのでは勿論ありません。
この視点が大切なのではあるが、面倒臭くかったるいとも思います。
しかしその視点の考え方が、私の怒りにブレーキをかけてくれます。
ブレーキをかけずに、
道理の分からんガキをシバければ、
どれほど楽であろうと思います

それは、出来ません。

先生の無気力は感受性高き子供に伝染し、殆どの子供が起立しない状態にまで発展します。
そうなる未来の到来を恐れて、
無気力タイ人オバちゃん先生も、「よっこらしょっ。」

時折「修正アクション」を実行します。
常にではないので、必要性のある時やパワー充実日に
「立ちなさい!」と
気合を発します。
立たない生徒を全員一人残らず立たせる事は、
叩けない現代では、
ハッキリ言って不可能に近い。
今では叩かなくなった私にも出来るが、おそろしく時間がかかり授業時間が欠落する結果となる。
よって一割、二割を超えない
(コレを超えると「私も立たない生徒になる事とします」が出現)
あたりで授業の本題に入る事にしている。
「立たない生徒は間違った事をしているのですヨ。」を
生徒に分らす形を時に踏襲しなければならない事は私には大きな負担です。

<タイ人児童への教育は大変である>
タイ人への教育は、
常にパワーと工夫(アイデア)が必要です。
これを発見したものだけが、タイ人への教育を立派にやり遂げる事が出来ます。
いかに楽しくさせるか?
いかに尊敬してもらえる存在となるか?
子供達から認められなければ、
タイでの教育は成り立ちません。
日本も大変な状況が進展しているでしょうが、
タイも
大いに大変です。

尊敬してもらえる為には、自己表現しなければなりません。
幼い子供達には、コチラの価値は全く見えず、分かってもらえません。
この尊敬のPR(respect demonstration)活動は何気なく行なわなければなりません(コチラかの押し付けこれみよがしでは効果少なし)。
生徒への愛(Love feeling)も勿論必要です。
生徒への親しみ(Friendship feeling)の態度も必要です。


<「慈徳の教育」>
道徳という名称はそろそろ改変して、
人を思い遣る「慈徳」や「人徳」というカテゴリーの教育を
しっかりとやって行かないといけないと思います。
親や家族の大人の躾の欠けているもの、教師の無責任身勝手自己本位が残した結果を
補完してくれているのがお坊さん達の存在です。
この国に仏教というものがなかったら、とんでもない国になっていたと私は思います。
これからの学校には、生徒を正しく矯正する事に特化した「慈説くの存在」が、
どうしても必要であると思います。
あの世に精通した、この世のお坊さんの出番ではないでしょうか?
仕事としてではなく、「慈徳の行い」として。
勿論、仏様へのお供え代はお渡ししなければならないだろうが・・・


生徒が成長する姿だけが楽しみで、私はこれまで頑張ってきました。

人生のはかなさをフト感じる日も有るなか、この世のためにと思い、
日々ペダルを漕いでおります。

Sさんを想えば、岐阜城から見える眼下の長良川の美しい景色が思い出されます。
「日本は、遠くにありて想うもの。」
日本人として孤軍奮闘して、この地で生きています。
2011年8月15日




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内 容 ニックネーム/日時
 600人の生徒さんで、日々大奮闘されているようですね。ご苦労様です。
 11月にラオスに行くつもりで計画を練り始めました。貴兄と連絡が取れたらバンコック経由で行ってみようかな・・・とも思っています。まぁ、多忙中の所をご迷惑をおかけしそうですが、お伺いしても差し支えないようでしたら連絡(メール)をください。ヨロシク!!
oyaji
2011/08/31 06:57

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