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zoom RSS ブログ56弾:タイ人の特質「サバーイとは一体なんなのか?」

<<   作成日時 : 2011/08/18 00:21   >>

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ブログ56弾:タイ人の特質「サバーイとは一体なんなのか?」
<勤務小学校の生徒達@とA>
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ワン・クゥンクルゥー=「先生を敬う日」は、日本にもあってほしい。
タイ人全てが有する特質「サバーイ」とは何か?
自己サバーイのタイ人が社会性(社会の掟)を学ぶ大切な場所、それが学校である。
日本人のやさしい特質=「他を思う優しい心」は人類の心の世界遺産である。
海外で暮らしたい日本人が増えている→日本人もようやくサバーイを求め、歩き始めた。
日本にある様々な「しがらみ」から解放され、自分らしくのびのびと生きてみたい。

<勤務小学校空手道風景>
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日本にもあって欲しい
<先生の日=ワン・クゥン・クルゥー>             
                       日  尊敬接頭語 先生 

先生はタイ語でクルゥーと言う。
これにクゥン(尊敬を表す接頭語クゥン)を付けて、
ワイをしながら(先生に向かって両手を合掌、その合掌した手を胸辺りにとどめて)、
「サワディー・クラップ(カー)」「クゥンクルゥー・Suzuki!」と挨拶する。

日本語では先生への呼び掛けが先→
「A鈴木先生、@おはようございます!(こんにちは!)」
タイ語では、サワディーが先→
@「サワディー・クラップ(カー)」A「クゥンクルゥー・Suzuki!」
両言語とも、@Aの倒置は可能ですが、どちらがより多く使用される言い方か。
発話の自然さ=発話実態は、上記説明のようになると理解して下さい。

<先生の(=→先生を敬う)日/ワン・クゥンクルゥー>
母の日:ワン・(クゥン)メェー
学校の先生は、偉い存在で尊敬しなければならない存在であるとタイでは教えています。
大人からの(学校からの)この諭しが日本以上に徹底している点は、
タイの大きなグッドポイントです。
日本で現在欠けている為、大いに評価しなければなりません。
タイでは「ワン・クゥン・クルゥー」=先生を敬う日というのがあり、
タイ全土の学校内でそのイベントが行われます。
普段お世話になっていて今後も教えを仰ぐ為に、
一列に並んで椅子に座っている先生達に、
ひざまずいた姿勢のまま前進し、先生に尊敬の印の花束を贈ります。
生徒はこうべを垂れていなければなりません。
タイでは霊魂が宿る頭に触ったり叩いたりする事は、やってはならないタブーの事になっています。
目の前でひざまずいて頭を垂れている生徒の頭を、
この日は先生がなぜて触れる事が出来ます。
頭をなでるだけでなく、
肩に手をやったり、生徒を両手で包むように抱いたりする事も行なわれます。

タイでの最初の赴任校短大で学生寮主宰の卒業前イベントで、
この「頭なで」アクションを見た事があります。
教師は卒業していく生徒に対して、卒業のお祝いと同時にお別れの言葉をかけます。
生徒のほとんど全てが感激状態に入っています。
先生も生徒も、卒業感動ムーブの特殊な雰囲気の中にいます。
殆ど大人の年頃の生徒であっても、泣き出す生徒がいます。
この時、先生はその生徒を本当に「幼い生徒のように」扱います。
大人に近い年頃の生徒をこのように扱う実際の姿は、タイ独特のものであって、今の日本にはありません。この現場に立ち会うと、大いに感動します。

<子供を大切にするタイ社会>
<他の人に対する思い遣りは、タイ人にもある>が・・・
<他を思い遣る心は、日本人の宝の美徳><タイ人は優先順位(priority)で動く><そのトップは自己サバーイである>タイでは、子供の大切さは徹底しています。
我が子を超えて子供全体を大切にする姿勢は、日本が失いかけているものです。
社会全体の宝として、子供達を温かく見守り庇護し、慈しむ事は、
もっともっと当たり前の自然の事として存在する必要があります。

このようにタイでは、先生と生徒の関係は健全に保たれています。
ああ、それなのに、
教室に入室した先生に対して、
起立しない生徒が段々と増えて来る現象が何故起こるのでしょう?

これを紐解いていけば、多くのポイントが見えて来ます。
起立しないからといって、尊敬と慈しみの気持ちがないのだと決めつけては、絶対にいけません。
タイに於いては、先生に対する尊敬と慈しみの気持ちは、日本以上に大いにあります。
この一点だけは、心にしっかりと留めておかなければ、大きな失敗となります。

バッサリと言って、単に「立つのが面倒臭い。」ただそれだけです。
このように現象そのものを、そのままの状態で素直に受け取る姿勢が大切です。

<日本人のやさしい特質=「他を思う優しい心」は人類の心の世界遺産である>
日本では、「他の人に対する思いやりの気持ち」があります。
このようなものが今尚存在するのは、日本だけです。
今尚存在すると言う風に言うと、
他の国にもかつてあって今現在は失われてもはや存在していない
というように誤解されるかも知れません。
他の国には、
醸成されて来なかった日本独特の態度と気持ちが、「他を思い遣る心」なのです。
最後の砦ともいうべき、この思い遣りの気持ちを日本人は決して失ってはいけません。

この他者を思い遣るという態度と考え方が、
タイには無く、他の国にも無いという事を日本人は認識しなければなりません。
先生に対する慈しみと尊敬の気持ちが充分にありながら、
他を思い遣る気持ちの欠如が同居しているのです。
なぜ同居出来るのかは、日本人だけの凝り固まった考えでは到底理解出来ないものです。

このようなレベルの事に思いを馳せ理解出来る為には、
相当の年数を海外で暮らさなければ決して分かりません。
短期間の滞在では誤解と失望の中帰国して、
日本人的なものの捉え方の殻を破り、大きく物事を捉えられる人間には決してなれません。

ここで誤解してはいけないのは、
他人への思い遣りの優しい気持ちなど無いのがタイ人なのだ
と思っては決していけません。
「人に対する優しい気持ち」をタイ人達は、一杯持っています。
なのに何故、目前の先生への心配り、気遣いが無いのでしょう。

サバーイ(自分自身だけの気持ち良さ)を求める事がトップの位置に来るのが、
タイ人だからです。
タイ人は日本人のように、同時に様々な方向や視点から物事を考える事が苦手です。
タイ人を特徴付けているのは、優先順位(=priority)です。
priorityの順序(ラダップ)のトップに「サバーイ」が位置します。

タイ人の全てが持っている金太郎飴的タイ人の特徴性質が、
「サバ−イ」です。
=自分にとっての心地良さを求める気持ち、そしてソレは優先順位の常にトップに来ます。

相手タイ人のサバーイな気持ちを損ねたり、サバーイを求める過程を妨害したりすると、確実に嫌われます。
「アナタ嫌いネ」の気持ちを、相当長い間持ち続けます。
タイ人は恨み深く、結構シツコク感情を持ち続ける。(アッサリタイ人の反対側面的性格)
ある飽和点を超えれば、恐ろしいアクションに出る傾向が日本人以上にある。
タイ人も自己コントロールの大切さは知っているが、日本人ほどのコントロールレベルには達していない。
「サバーイ」は、親子の間柄であっても常に優先するものである。
反対に言えば、マイ(Not)サバーイを他人に与えることは、親子であっても出来ない、してはいけないという「暗黙の掟」があります。

こんな大前提(親でさえ、時に子供に言う事を聞かせられない)の前で、
他人である一教師が、立ちたくない生徒を立たせる事はハッキリ言って、限りなく難しい。

先生が入室したら起立して挨拶する事は、
「サバーイ」を後回しにしてでも
果たすべき「掟の礼儀」である。
そういった「社会的掟の教育」
がどうしても必要となって来るのです。

<自己サバーイのタイ人が社会性(社会の掟)を学ぶ大切な場所、それが学校である>タイで教育が熱心に行なわれているのは、
単に知識そのものを与える目的ではなく、
「サバーイ以外のこの世の掟」を
教え、
将来のタイ人達に
個人のサバーイと対極的位置にある
「社会の掟」「タイ人としての掟」の原点を
教え込む意図があるのだと
私は思っている。
小学校は、
この点で大きな力を果たしている。

親であっても時に子供のサバイを求める心に、ひれ伏さなければならない。
サバーイ(=個人そのものと言えるかも知れない)を求め過ぎれば、
社会の仕組みが正しく機能せず集団としての社会が成り立たない結果となる。
社会のルールを教える必要性を分かっているタイ人が、
共通的に有している最大の考えが、
「自己のサバーイ」なので、
これはどこまで行っても永久に交わる事のない不毛の戦いではないのかと私は思います。

日本人も快適に過ごしたいと誰もが思っている事でしょうが、タイ人の「自己サバーイ」はもっと巨大で頑固で国王であっても剥ぎ取る事が出来ないはるかに強烈なものです。
そういう点から言えば、タイ人全てが持っている「自己サバーイ」レベルのものは、
日本には存在しないと私は思います。

<しがらみ>しかし一方、日本にある「しがらみ」のような内容のものは、
世界のどこにも存在しない自己サバーイと対極位置にあるものです。
タイ人は過去の日本人並みの親戚付き合いを現在も実践し続けています。
しかし、親戚付き合いが日本人のしがらみレベルに近づくに連れ、彼らはもう構ってられないネと薄情な別離の決断を下します。
自己サバーイと親戚付き合いが共存しているのが何とも不思議で最初は良く分かりませんでした。
親戚付き合いや人助け(タンブン)は、他を助けると自己の心地良さと死後の自己サバーイが引き換え的に存在するからです。
他人を助ける事が自己サバーイの領域を侵食し始めると、タイ人は自己のサバーイを取ろうとします。
親戚を助ける事がタイ社会の掟として長く存在し続けて来た事実がそこにあります。
人を助けると、生きている間も死んだ後も安息を得られるのだという引き換えメリットの考え方がタイ人の優しい親戚付き合いの中にあります。
日本人のような感性のレベルには決して達していません。
タイ人の優しさは、本物だろうかという事ですが、昨今の冷たい日本人には指摘出来る資格がもはや無くなっていると私は思います。

日本国内にいれば「様々なしがらみ」とどうしても上手く付き合って行く必要があります。
日本を出て海外で暮らしたい人の大方が、
窮屈なしがらみ社会から抜け出し、老後ぐらいは「自己のサバーイ」を求めたいと考え一歩足を進め出した「日本人の未来的価値観」を反映しているのだと私は考えます。
もしそうであるなら、未来の日本人の生き方を探る上で、
「タイ人の自己サバーイ」は大きなテーマ材料となります。

日本でも他人になんか気を使わないで、もっと自分を大切にという傾向にありますが、
世界の他の国には無い「優しい他人への心」が日本人の誰の心の中にも今尚ある事は、
とても素晴らしい事であると、世界の国々から大きな評価を受けています。

優しい心は遺伝的な特質性格であると思うので、
タイ人が
長い歴史をかけて他への思いやりの心を醸成して来た日本人のように
「他を思う優しい心」を、
時間をかけて(社会内価値観の醸成の中で子供を育んで行く)持ち続ければ、
いつしか
日本人のようなやさしい特質を
持つ事が出来るのだろうか?

残念ながら
その未来のこたえを
私は手にする事は出来ません。

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