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zoom RSS 第22弾ブログ:<logical thinking な外国人に日本語を教える事は、とても難しい>

<<   作成日時 : 2009/11/23 19:09   >>

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第22弾ブログ:
<logical thinking な外国人に日本語を教える事は、とても難しい>


<日本語指導において、説明が難しい「綺麗」と「美しい」の違いの> 考察その1
<学習者達が納得出来ない 何故、「美しいジャナイ。」と言ってはダメなのか>
<ギャルの言葉 「これ、きれクなぁ〜い?」>
<毎日、毎月、毎年と言えるのに、何故 「毎人まいひと」 と言う言い方が無いのか?>
<「行く」の意味で「行きます」を優先して真っ先に教える、隠された意図とは?>
<否定形「行きません」を先づ教えなければならない理由とは?>
<「行かない」には、単なる否定表現を超えた別のニュアンスが存在するからである。
こういった日本語表現の拡がりを事前に理解し心得ておかなければならない>

下段写真:県内随一の名門国立サコンラァーッ高校周辺ショット(自宅近所)
画像


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上段写真:色々写真

http://plaza.rakuten.co.jp/affiliatestaff/diary/200807180000/

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<綺麗(綺麗な)と美しいの違いって、一体何なのだろうか?>考察その1○「綺麗」
 綺麗とだけ書けば名詞(抽象名詞)だが、
ものや人の美しさを形容するので、綺麗なという形容詞体としても発展する。
(類例:便利、便利な/衛生、衛生的な(この場合衛生なとは言わない))

綺麗な+花=綺麗な花  綺麗な は、よって「な形容詞」(花を限定修飾している)
「な形容詞」「綺麗な」の否定形→ 綺麗な の な をomit して 綺麗+じゃない

<ギャルの言葉 「これ、きれクなぁ〜い?」>日本の若いギャル達が頻繁に使う(「きれクな〜い?」 は、
取り締まり対象の?日本語としては、誤った使用である。
外国人日本語学習者には聞かせたくない日本語?である。

しかし、ギャル達のきれクな〜い?には、面白い要素が隠されている。
綺麗は、綺麗なのナ形容詞であるので、綺麗じゃないor綺麗ではない。が正しい。

彼女達の  「きれクな〜い?」は、
イ形容詞否定形美しクないとの混在アイデア=思考の混線状態とも考えられる。
この辺りが実に面白い。
外国人が間違う形容詞否定形の作り方をも想起させるからだ。
しかし、ギャル達は日本人であるので、形容詞否定形の正しさは当然分っているハズだ。

「きれいジャナ〜イ?」を短縮化して「きれクな〜い?」使っているのが、
実際の意図であることは想像に難くない。

ギャル達は、友達の同感を得る事を意図して、
「きれクナァーイ?」と発展使用している。
この点はギャルと言えども唸る程の言葉発明アイデアである。
 彼女達の発想で行くと、「便利クな〜い?」の使用すらも想像される。

 発言意図は、綺麗じゃないんですか?→=
私は綺麗だと思うんですが、あなたも同じようにそう思うんじゃないですか?と
相手の同感を要求する尋ね方のコミニュケーション言葉となっている。

○ い形容詞「美しい」の否定形は、美しい の 末尾い を く に変えて 
うつくし くない= 美しくない 
 
<日本語学習者が納得出来ない 何故美しいジャナイ と言ってはダメなのか>
日本語学習者全員がいつか持つであろう学習逃避の心の発生を先回りして、外国人にとって心地よいlogical な文法説明体系を作り上げ、利用しているのが、日本語学習指導体系とも言える。
いいように言うと、学習者に少しでも多くの納得感をもたらす指導であるとも言える。
しかし、ある種「手品」のようであり、無理やり引張って行く指導のようなものである。

語学の学習は、ある一面では全く簡単な事ではない。
学習には納得感というものが欠かせない。
納得してこそ、新たな段階への学習意欲が湧いて来る。
しかし、本当の意味での納得感を個々の生徒に持って貰うのは、
果てしなく大変な事の連続である。
「日本語ではそういう言い方はありません。」「日本語ではこのように言います。」
としか言えない範疇の指導が、日本語指導にはあります。

言語の学習は、logical な説明が困難である要素が沢山あります。
だからと言って、頭ごなしの指導では誰も従いて来ません。
どうすれば、納得感を生徒にもたらす事が出来るのか?
研究し工夫し続ける姿勢が、教師にとって大切です。
それよりも何よりも、生徒を愛し続け見守り続けて行く‘大きな優しい存在’であり、尊敬され認められる日本人の存在である為の努力が一番大切な事であるのだ。
生徒から愛され慕われ尊敬され認められる先生でなければ、教え続けて行く事は出来ない。

最初に美しいを覚えた初級レベル学習者が造り出す美しいの否定形は、
殆どの人が、美しい+じゃない=美しいじゃない

「じゃない を 末尾に付け足すと、否定形となりまーす。」
と便利公式的に教え込むと、
美しいじゃない とか 勉強するじゃない 食べるじゃない 行くじゃない 
のレベルの間違った不思議な日本語となる。

私のタイ人親友は、今だに、「娘は、今日は勉強スルジャナイ。」と私に電話をかけてきます。
日本語教師である立場の私は、これを少しは矯正指導したいのですが、電話での話しの中でのタイミングの不適切さとコチラとしては、相手の言いたい内容が分っているので、敢えてウザッタがられる先生的な指導を避ける賢明さ?を選んで、矯正していません。

<何故 毎人まいひと という言い方は、日本語には無いのだと いう苛立ち>同じタイ人友人の間違った日本語使用があります。
これは、タイ人全てが陥る日本語学習上のワナです。
毎人(まいひと)という誤った?日本語がソレです。
タイ語では、everybody の意味でトゥック・コォンと言います。
トゥック・ワン    =everyday 毎日
トゥック・サップダァー=everyday 毎週
トゥック・ドゥアン  =everyday 毎月
トゥック・ピィー   =everyday 毎年
ここまでは、日本語、英語、タイ語の3言語間の言葉の順序も表現の仕方も全く同一です。即ち1対1の指導が出来る分かりやすい日本語学習です。

タイ語では、everybody の意味でトゥック・コォンと言います。
英語との同一性は存在しているのに、何故か?日本語では毎人と言う事は出来ません。
「みんな」という日本語を教えなければなりません。
(みんなの日本語テキストを使用しているなら、Magic のように教える事が可能となり、毎人が使えない理由の説明から大きく逃げる事が出来ます)
パンコンに住む人(=パンコン人 パンコンじん) みんな は、タイ語では 
コォン・パンコン トゥックコォン と言います。
みんな は everybody が英語訳だと理解します。

厄介な事に、「みんな」とは全ての人というall the people の意味(意味というより使い方)とは少しだけ違います。

「みんな」は、ある限定空間内の全ての人を意味します。
即ち、限定的要素が加味された言葉が「みんな」です。
そして、自分にとって身近な人というfactor もあります。

類義語に「全ての人」という日本語がありますが、これはall the people のように使います。身近さファクターは無く、単に全てall という意味があるだけです。
地球上に住む全ての人々を地球上に住むみんなと言う事も可能ですが、
少しシックリした日本語とならないのは上記のファクターのためです。
英語では、all the people living on the earth (everybody living on the earth はオカシイ英語となる)である。

一方、身近な私の家族内の全ての人
=英語ではevery persons(=everybody)in my family
タイ語では、トゥックコォン ナイ クロップクルゥーア コォン ポム
 みんな    内の  家族        の   私
  = 私の家族のみんな(タイ語では修飾語は前でなく後ろに位置する)となります。

即ち、「みんな」とは全ての人ではあるのだけれども、
ある限定空間内に存在する身近な存在の全ての人を表現する要素が高い言葉です。
毎日や毎月は‘セット表現orセット言葉’としての使い方です。
だから、3言語間の発想の同一性が存在するのです。

日本語では家族のみんなとかパンコンに住む人みんなとか言います。
言葉として「毎人 まいひと」が使われてこなかった理由を厳密に説明する事は、
浅学の私には到底出来ません。
人に関わる表現においては、毎人とは言えないのですとしか教える事が出来ません。
日本語教師の私がこう言ってはいけませんが、
毎人という言葉を使っても何ら使用のオカシサは無いんじゃないかとさえ思っています。
しかし、毎人という言い方が只今現在の日本語には存在しないので、人に関わる場合は、みんなやみなさんと言うんですヨと教えて行くしかありません。

タイ人友人には、日本語では毎人とは言わないんだヨという事は、
既に伝えてあります。
彼は理解しましたが、全面的納得感の様子では決してありませんでした。

「何で、毎人と言ったらダメなのか?」
「何で日本語には毎人という言い方が無いんだ!」と不満顔でした。
人に対する尊敬感のあるタイ国の人なので、人に関する言葉は少し異なるんだとの説明に対して少しは納得感を持ちました。
「日本語というものは、なんて厄介なんだ。」
「日本語などもう習いたくないなあ。」
という気持ちが彼の顔の表情から感じる事が出来ました。

常に発生して来る彼らの挫折というか逃避の気持ちから、再び立ち上がらせ、新たに日本語学習を継続させて行く‘果てしなく辛抱の要るもの’が日本語指導なのです。

<日本人なら誰もが、美しくないと綺麗じゃないを使い分けて使用する事が出来る>
<日本人なら誰もが、美しいと綺麗の言葉の違いを上手く使い分ける事が出来る>私には常に不思議な疑問が存在する。
何故日本人なら、それらの使い分けがいとも簡単に出来るのか?
小学校等でキチンとした形で(学校教師が、わざわざ授業時間を割き、外国人に指導する論理的な説明=ナ形容詞とイ形容詞の2つのパターン)、
「綺麗じゃない=綺麗ではない」と「美しくない」
の使い分けを論理的に説明して教えてもらった記憶が無い。
美しいはこのような時に使い、綺麗はこういった時に使いましょうと、集中特化授業を受けた事などない。

<外国人にとっては、日本語は難しい>
日本で生活した日本人なら、苦も無く日本語を理解し話す事が出来る。
なぜ、外国の人達は、イ形容詞・ナ形容詞と理論的に解釈しなければ(納得しなければ)理解出来ないのか?
逆に言えば、日本語教師はどうしても、事前に日本語指導武装方法を学んだ上で組み手をしなければならない。
私は、この不思議な疑問を持ち続け、その意味合いを常に追いかけ続けて来た。

<タイ人児童と友達になろう、それも多くの子供達と>
タイ人児童も、2年生ともなれば、正しい文を幾らでも作り出せ、朝から晩までありとあらゆる機会にありとあらゆる表現が口を突いて自動的に出て来る。
何で、タイ語の文の組み立ての確かさに一々頓着しないで、軽いタッチでペラペラと話す事が出来るんだ!と不思議な気持ちで、児童の口元を見ている事が私には多い。
感心な気持ちとある種の驚きと尊敬の気持ちを持ちながら・・・

タイ人子供と友達になると、彼らが生きて行く過程で膨大なタイ語学習を経験して来た経緯が良く分る。
やはり最初は、ネコや犬への呼びかけや、お腹が減ればそう言い(ヒューカーオ)喉が渇けばヒューナームと、それこそ毎日繰り返し発声している。
その発音は時におかしい、しかし親や周りの人達からの指導により、正しい発音が身に付いて行く。
最終的に身に付いたタイ語の発音は、タイ人の正統タイ語の発音である。
にわか学習者の日本人では到底身に付かない、タイ人らしい発音がそこに存在する。

学習して行かなければ言葉をどんどんと話して行く事は、出来ない。
日々の親とだけの会話が、成長と共に友達との会話にまで拡大して行く。
友達と過ごす時間が長くなって行くに従い(身体の成長とリンクしている)、時にものすごい勢いであらゆる言葉や表現を学んで行く。
子供本人は、タイ語を勉強しているんだという意識など全く無い。
あるのは、未知への好奇心と、友達環境の中で自己の存立を確保しようとする姿勢だけである。
自己の存立の安定性と自己のサバァーイジャーイ(自分にとっての気持ち良さをひたすら追い求める態度)の確保、
言わば自分自身が楽しく幸せに安全に少しでも長く元気に生きたいが為の、
生命体の無意識の欲望と欲求により言葉を獲得して行くのだ。

<否定形の作り方 の間違った指導の入り方>
<一般的アイデア+個別場面アイデア の両方を教えないといけない>
行く の否定形は、行く+ナイ=く を か(KA)に変えて+ナイ 
really do not go/would not go行きませんの意思強調/dare not to go 敢えて行かない
日本語の持つ意味合いでは、
行かないは行きませんではなく(ない の部分にストレスを置いた言い方)、
行く事も可能なのだが、理由があって意思があって、行く事を拒否・否定する表現would not goとなってしまうからだ。

否定表現not は、日本語では ナイ ですよ と教えると、
学習者にとっては、とても分り易い簡単な理解だ。
こういった教え方は、日本語を体系的に考えた事のない、
日本語教師でない大方の日本人の教え方だ。
「ナイ」は否定形を作り出すgeneral idea (総体的な、一般的な、普遍的なアイデア)
でしかない事を、併せて強調指導する必要がある。
取り敢えずの大雑把な総体的な理解であって、場面ごとの適切な使用というものを教えていかなければならない。

否定表現というものは、単なる否定と意思ある否定の大きく2種類がありますよ!
との付則説明も絶対に必要だ。
学習意欲の少ない者や少し長めの説明をじっと聞けない集中力の欠ける生徒は、
先生の冒頭説明、「否定形は、最後にナイを付けましょう。」としか頭に入っていない。

<語学理解のsensibility>
<児童の耳と口には‘驚きもののスゴイ能力’が秘められている・・・>
学習者の脳内の言語装置がその国の言語となっている。
タイならタイ版コンピューターとなっているのだ。
理解の度に、慣れ親しんだタイ語に置き換えようとする。
しかるに、全ての語、特に微妙なニュアンス表現などは、
1対1(1=1、りんご=apple)に置換する事は、出来ない。
言語は単語を指し示すレベルから、
人の心や本音まで微妙に表現出来るように変化発展して行くので、そういった範囲に及ぶと1対1の説明が出来ないレベルとなって来る。
話し手の心情や具体的な欲求の中身まで伝える為に、あらゆる段階と拡がりがある。
1対1の説明が出来ないレベルの指導がそこには待っている。
よって、学習者のidea 、sensibility が極めて重要なファクターとなって来る。
言語を単純に理解するレベルから感受性有る「洞察力・推理力」即ち「自ら考える力」
が必要になって来る。
よって、低学年の幼い生徒達には、複雑な洞察性の高い日本語表現は、
指導する事にそもそも大きな無理が有る。
しかし、児童の耳と口には‘驚きもののスゴイ能力’が秘められている・・・

<普通体:行く/丁寧体:行きます>
行くはI ku と末尾がu形 で終わっている。
日本語辞書においては、動詞は全てがu形で記載されている。
よって、「行くiku」は「辞書形dictionary style」と呼んでいる。
行きます は、末尾を取って、マス形と捉え、これを丁寧形or丁寧体と呼んでいる。
その対比的言い方として、行く(辞書形I ku)は普通形or 普通体ですよと指導している。

<行かないよりも 行きません を真っ先に教えるべき意味>
よって指導側の最終武装として、
上記の過ち=「行かない。」を排除する意図で、
(意思があって行かない)・(行きたくないのでor他の用事の存在の為に)
日本語指導では、行き ます→行き ません と 
「ます形」とます形の否定形「ません形」
を真っ先に教える。

行きませんなら、英語ではI will not go(近未来否定)or I don’t go のニュアンスとなる。
(I do not go. とdo not と強調して言えば、行きませんをより強調化したannounce 表現となる)

しかし、語気を込めて「行きません。」と言った場合は、
丁寧形の形を保ちながら、「断固拒否表現」としても使える、日本語表現の拡がりが厄介だ。

I will not→I won’t go とも変換できる。
よって、英語話者は語気を強めてI won’t go. 又は時にI can go but I really don’t go. と付け足し説明をする事も多い。
won’t にストレス発音をすれば、意思を伴った強い否定ニュアンスを表現する事が出来る。

行く事は可能ですが行きませんのニュアンスが強く出るのが、「行かない」である。
人々が毎日使っている表現 I don’t go
英語ならいとも簡単なこの I don’t go
が、日本語指導では体系的知識がなければ、正確度の高い指導は出来ない。

<logical な納得感を得られなければ学習しようとしない外国人学習者達>
空手の形を指導する時、形の意味するところを説明しなければ、海外の人達には納得感の得られる教え方とはならない。
「この形はこうすればいいんだ、意味など知る必要は無い。とにかく覚えろ」では、
海外の練習生は去って行く。

全てがlogical 思考の彼らには、論理的な理論指導無しに教えて行く事は出来ない。
かつての日本人は、時に師匠から頭ごなしに怒鳴られながら、只々ものを覚えていった。そのような指導は、外国人には殆ど受け入れられない。

論理的に説明出来てこそ、外国の人達から拍手喝采を頂戴する事が出来る。
その反対は、全ての学習者が去って行く結果である。
論理が無い、説明が無いという事は、説明が出来ないレベルの先生なのだと、そう思われる。
とにかく覚えればいいんだ、という姿勢態度は、「横暴」「暴君教師」と取られる。

その為、日本語教育では外国の人達のlogicalな考え方を前もって受け止め、
相手方に合わせて、これでもかこれでもかの理論武装体系を作り出している。
必要性があって、そうなっている訳であるが、
「まてよ、これでいいのかな?」と時に思う事があるのも事実である。
だからといって、行かないを教えないで行きませんを最初に教える必要性が無くなるものではない。
日本語教師が答えに窮する時が、多々ある。
時にlogical に説明出来ないものがある。
そういった範疇は、日本語の良さでもあるのだが、初歩レベル学習者達には到底理解出来にくい内容である。
日本語教師は、使用が適切な具体例文を手裏剣として、常に懐に忍ばせて置く必要がある・・・
勿論生徒への、大きな温かい愛情のこころと熱きハートも・・・

091123(月)記載及びアップロード

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