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zoom RSS ブログ第10弾の@:「ギリギリの滑り込みdeadendで、とうとうビザが取れた!」労働許可証取得まで

<<   作成日時 : 2009/10/19 22:34   >>

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ブログ第10弾の@:「ギリギリの滑り込みdeadendで、とうとうビザが取れた!」
<学校の仕事は遅い>
<労働局の要求する血液検査付きNew健康診断書?>
<A先生からの連絡により、D先生が新入事務員にorder を発動>
<苛立ち顔の事務員に、control power down 気味の私までもがイラダツ>
<労働許可証がようやく手に入った>

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ブログ第10弾の@:「ギリギリの滑り込みdeadendで、とうとうビザが取れた!」

10/ 5(月)学期末テスト
10/ 6(火)学期末テスト
10/ 7(水)学校には、生徒は誰も来ていなかった。(生徒完全休みに突入)
       生徒の評価をつける為に先生方の一部が出席していた。

労働局1日目1回目
必要と思われる書類を携え、労働局に向かった。
労働局宛に提出申請する書類を貰った。
局の若い女性見習い担当官に、「病院での健康診断書が必要ですので。」
と追加要請された。
又要るのか、そりゃ要るかも知れないなあ。
      
病院訪問1回目
時間の猶予が逼迫している(あと10日しかない)為、
労働局を出て、直ちに前回と同じラクサコン病院へと向かった。
2時頃であった。
前回、快く引き受けてくれ料金も20Bだったからだ。
「何で給料の高い日本で仕事をしないの?」
「何でここで働くの?」
と一人の看護婦が屈託無く、声かけて来た。

日本と同じく、診察室に入りお医者さんと面談診察。
50代位の優しい男性のお医者さんだった
タイに住んで何年になりますか?
タイの奥さんはいますか?
何をされていますか?
先生ですか、どこで何を教えられていますか?
とザックバランのパラパラ散発質問の中で、診察は終了した。
いい感じのお医者さんだった。
タダにしときましょうと言われた。
書類受け取りの際に支払い所で、先生のご好意により
この診断書のお金は支払う必要はありませんので、と言われた。
20B(前回時、支払った金額20B)は、私の当地の頑張りに敬意を支払い
免除された。
       この診断書を携え、再び労働局へとペダルをこいだ。

労働局へ戻る2回目
私の担当官は45歳位の男性であった。
英語は一切話せない。タイ語のみ。
彼の右側の机は、前回の英語が少し分る人柄の良いオバさん担当官であった。
その席に座りたかったが、
別の申請者が既に座って彼女と相談中であった。
今回の男性担当官に対して少し不安感が湧いた。
はてさてどうなる事やら。

「この診断書ではダメですナ。」
(アレ、ダメなんかいな。と拍子抜けした。新事態(ケース)の発生だ!)
「今は、血液診断をしてもらわないといけないのです。」
「その血液診断の結果、病気は見受けられませんとのお医者さんのお墨付き記入がなければダメ(=労働は出来ない、血液検査で陽性となった外国人は労働者としてタイ国にいる事は出来ない、結果労働許可書は発行されない)となっているんですヨ、」と言われた。
(そりゃチョット大変だ。段々とウルサクなって来ているなあ。)
       これは、エイズ等の性病検査を意味しているのだと段々と分ってきた。
しかし、こんな事は正義の国日本では既に行なわれているのだろうか?
エイズという、個人プライバシー引いては人権にも関わる検査が必要となって来ているのだろうか?

       彼は、タイ語でこんな健康診断書が必要になっているんですよと私にタイ語                
       で語った。
       もう少し、本格的な一歩踏み込んだ診察が必要になっているのだと私は理解した。

「この文書を学校に行って作って貰い、あした持って来て下さい。」
新しい書類だ。
新しい書類がまた増えた・・・
それと、労働局申請書類は英語だけでなく、タイ語も表記して下さい。
出来れば、学校側の誰かと一緒に明日、申請しに来て欲しいとの話だった。
それらの事を伝えたいという事で、仕方なくA先生に連絡した。
担当官はA先生に小言を言い、私の申請にあたり必要な事を伝えていた。

病院再訪問
<血液検査?>
私は、労働局を出て、新たな血液検査の為、本日2度目のラクサコン病院へ   
と向かった。
昼2時ごろ来た私を知っているスタッフが、勿論まだ勤務中であった。
私は、労働局の要求する検査とは何なのかと私の担当官が書いたタイ語を見せた。

<過去の赴任校で必要とされた健康診断書>
お医者さんの部屋への入室もなく、クリニックの戸外に設けられた受付前に立っているだけで、医者のサインが貰えた。
全くのいい加減な検査以前のものであった。
僅か数年の月日で、これ程までに変化するものとは思っても見なかった。

受付の女性スタッフもタイ人だから、担当官が書いたタイ語が読める。
これって、血液検査のようなもんじゃないんでしょうか?と私は尋ねた。
さっき来られた際にお渡しした健康診断書を、再度お出し願えますか?
改めて診断書を書いてくれるのかなあと思っていたのに、1度私に渡した診断書をもう1度出せと言う。
何か嫌な予感がした。
変な気持ちだったが、
私は、2時ごろ書いて貰った診断書を、言われるままに差し出した。
私は、左の腕から血を抜かれた。
本当に検査したんかいな?と思える程の時間(約20分間程の経過の後)で、診察室に入った。
35歳前後の若いお医者さんは、何の病気の所見も発見されませんでしたと言うだけだった。
私が、貧血気味のようなのですが、そのような兆候は、血液検査数値からは出ましたでしょうか?と尋ねた。
血液検査であるならば、タイも日本も同じものであるはずだ。
赤血球の重さや白血球の数、また血液の濃度などが基本的検査である。
貧血状態かどうか、いとも簡単に検査結果として出て来るはずだ、
若きお医者さんは、そのような検査ではないのでしてという。
何を検査されたのか、そもそも検査したのかどうかさえ不明である。
私が知る事も出来ない。
何の検査だったんだと今になっても分らない。

医学用語など専門的用語は日本語であっても難しい。
それと同じ事が、タイ語の世界に訪れるのだから、タイで入院する事は、日本人の心の不安をより増幅させる。
ゆえに日本語で質問が出来る日本人ドクターや看護士の常駐をadvantage として、宣伝している病院が、バンコクやチェンマイ居住のロングステイ日本人への大きな売りとなっている。
しかし、その費用は高い・・・

先程渡した診断書は、文面を書き加え、返された。
私は、新しい診断書と共に古い診断書も一緒に返されるものだとばかり思っていた。
外に出て詳しく、封筒の中身を見た。
  何や、最初の診断書にチョコッと書き加えただけやんか。ガクッ。
こういう事がタイ式パターンなのだ。
診断書はまたもや、結構ですのでとの支払い所女性スタッフのcomment 付きで無料となった。
しかし、血液検査代として200B支払う事となった。

その血液診断書を持って、A先生の家を訪ねた。
D先生に連絡を取ってもらって、必要書類の書き直し作業を進めてもらっているお礼も言わなければならない。
それと、果たしてこの新診断書が、労働局担当官の望む診断書の体裁なのだろうかどうか?を聞かないといけない。

<エライこっちゃぁー!>
<A先生宅で、夫婦カンカンガクガクの言い合いがおっぱじまった>
<2度目のラクサコン病院での検査結果の書き方に、正当性があるのかどうか?>
労働局担当官の要求に叶ったものであるのか?に関して、
バカ旦那(いいお父さんではあるのだが、ハッキリ言ってインテリではない、
A先生の態度によると英語が少しは出来るらしい様子だが)とA先生の間で、カンカンガクガクの論争(=実際は言い合いの状態)が始まった。
アンタやっぱりバカね的発言がA先生からご主人に向かって為された。
ご主人も負けてなるものかと、訳分らない状態の中で食い下がる。
私の診断書の中身の書き方で、夫婦の亀裂(このような言い合いはそもそもこの夫婦には日常的にあったようだという事が、2人のやり取りで想像出来た)を深める結果となった事に私は、こりゃいかんわいと思った。

「アンタ、何言ってんのん、全く分ってないわねぇー、倉野先生のビザは17日に切れるの、明日は金曜日で、サッサとワークパミットを貰わないと、時間は全然残ってないんよ。」
と旦那に言い捨て、
私の診断書を手に、彼女一人で病院へ自ら車を走らせた。

約20分後、5番目項目を医者から追加して書かせる事に成功して、彼女は戻って来た。
労働局担当官の要求に合致する検査結果がたった1行ではあっても、権威ある医者のサインの元、書き添えられていた。
「これで、どうだ。」という感じだ。
いざとなったら、行動力のある彼女に感心した。
感謝した。

結果、翌日の労働局担当官からクレームは出ない結果となった。
とうとう、ワークパーミットが発行された。
A先生、‘素敵なフォローアップ’本当にありがとう。

労働局の要求する新しい診断書の事など、有名病院にすらお上の通達は達していない事が、ドタバタの理由であった。
新しく法律や条令が改正されても、情報伝達の機敏性、正確性を欠く為に、末端で大きく混乱する。
当のタイ人が理解していない事を、外国人の私には分るはずもない。
相談や判断は、それなりの人物に当たる必要がある。
タイ人社会ネットワークは、彼らが持っているのだから、頭のいい友達に任せるしかない。
でないと、シッチャカメッチャカのむかつく混乱だけが待っている。
今回は、助っ人突入者が、有名国立小学校の先生だった事が事の進展に大きく関係している。

今回の私の担当官の要求がタイ各地で、達成されているかどうかは不明である。従来のいい加減な健康診断ではいけなくなって来ているらしい事だけは想像出来るものである。

10/ 8(木)労働局2日目
       <A先生からの連絡により、D先生が新入事務員にorder を発動>
       <苛立ち顔の事務員に、control power down 気味の私までもがイラダツ>
A先生から、ナンバー3のダラー先生に対して、要請が届いていた。
(従来の記載は誤り、ダラー先生は実はNo3であった事が、今回のビザスタンプ獲得の過程で判明した。しかし、友人ヨンちゃんの話では、副校長などいないので、校長の次に偉い人だと理解せざるを得なかった。
実際は、副校長の存在があり、その人が誰だか、2年目にして分る事となった。
しかし、副校長資格が与えられていなくとも、ある意味No2と同程度の力をダラー先生が有している事には、今尚間違いは無い。
タイに於いては、このような正しい情報を確保する事は容易な事ではない。情報は黙っていて入って来る性質のものではない。
普段からの多岐に亘るコミニュケーション活動と気楽に聞ける事の出来るfrank な交友関係が欠かせない。
タイ人でして分らない事が日本人の私に分るはずも無い。
よって、普段から何事も思い込みを排除して、誰にも公正な態度で望まないと、将来危ない?事態が待っている・・・

学校に行くと、いつもは愛想の良い、今年初顔の事務員がまあまあの英語で話してきた。英語の会話レベルは中学生並み、しかしこれでも充分用が足りるレベルだ。この人英語出来るんだと少し驚いた。
しかし、私に話し掛けて来る顔の表情はイライラ顔であった。
助っ人として、こうるさいフィリピン人が同時に話しかけてくる。
うっとうしい奴やなあと思った。
フィリピン人は、暫くして引っ込んで行った。
彼らは、人の話に首を突っ込みたがる。
しかし、最後までのフォローはない。
時間が経てば引っ込み、消えて行くのだ。
私は、事務員のヘタな英語と向かい合わなければならなかった。
そこまで英語が分っているなら、submit (提出する)位の英語や、application form 申請用紙 位の英語まで頑張ってモノにしろと思った。
この単語がいつまで経っても、彼女の口から出てくる事は無い。
彼女はイラつき始めた。
分らんやっちゃなーコイツは、とイラつき表情丸出しでオレに早口で畳み掛けてくる。
イラつくのは結構だが、タイ語や英語の喋り方に上品さや、コチラへの敬意の気持ちが全く表われていない。
はよ、書類出せやーとイライラ顔付きで、私に畳み掛けて来た。
いつもの私へのニコニコ顔は全く消え失せている。
彼女の態度のdifference(=格差)に私はとまどった。
コレだから、タイ人の微笑みなんて全く当てにならない。
信じてはいけないと、改めて私は思った。
失礼な態度に私はチョイ切れした。
  プゥーマイディーナァー(話し方が良くないねぇー)と言った。
予想通り、彼女の顔が怒りの表情に変わった。
普段ニコッと丁寧に愛想よく私に接していた彼女のウソの姿、よそいきの姿を知って、嫌な気持ちだった。
自分の本性を暴かれた戸惑いの様子が彼女の顔に表われていた。
私を無視してやる!の表情を振りまきながら無愛想に事務所の中へと、入って行った。
私としては当然の事を言ったまでである。
失礼な態度をプンプン振りまきながら、人にものを尋ねて来るとは、何とレベルが低いのだろうと思った。

<つい最近も、私のアンチファンをもう一人作ってしまっている。シマッタ×2>
教育大学から研修の為来ている、大学生の女の子にも、叱った事がある。
9月末の授業日の事であった。

遅れて授業場所(場所は大食堂)に来た。
彼女に対して色々と用事が与えられているのだろうという事は理解している私であるが。
今日は遅れてゴメンなさいねの一言(日本人にとっては当たり前のこのような一言)をタイ人から聞いた事は殆ど無い。
悪ければ誤らないといけないという基本的なルールが身に染み付いていないのが大方のタイ人だ。

何より高きプライドが先行して、‘ゴメンなさいを言う事’が何か「悪」のように捉えているタイ人がとても多い。
私の授業を補佐しなさいとのD先生からの指示を、ここ2,3回実行していない。
言い訳をする毎に、私は何も言わないで許していた。
そうすると、当のタイ人は調子に乗って、いい加減な対応を取り始めるようになる傾向が高い。
疲れていたのかは知らない。

ヤンチャ盛りの特に扱いにくい生徒が多い2年生のクラス(以前のブログで記載済み)。
私一人で試験を終えていた。
何度も名前を書くように、クラスナンバーを書くようにと生徒達に言った。
何度言い聞かせても、上の空状態の生徒が必ずいる。
日本よりも、もっともっと多い数だ。
だからといって怒ると、私にとっては確実に悪い評判を導く事になる。
言わないと聞いていないの減らず口、
そして言っても分らない、聞こうとしない一部の子供達。
テストを終えて、私には不安感があった。

授業の終わる10分程前に彼女は来た。
今日は遅れて済みません、コレコレの用事がありましたとの謝辞の言葉も無く、適当な感じで席に着いた。
言わなくてもチェックすべき名前記入、クラスナンバー記入。
彼女が来ないと判断していた私は、生徒達がクラスに帰るのが少し遅れる事となっても、私一人でキチッとプリント確認しなければと考えていた。

丁度その頃に、彼女が席に疲れた様子でドサッと座ったのだった。
私は、大丈夫だろうと思って、私の授業道具や生徒達の忘れ物防止活動に入った。
しかし、気になって彼女の方に立ち寄った。
何の意識や注意も無しに、生徒のプリントを無造作にタダ集めているだけだった。
見ると、やはり名前の記入の無いプリント何枚か散見された。

何をしとんねん、ちゃんと確認しないと、タダのプリント集めだったら、その辺の机に置かせてもいいんだ。
先生格のあなたが集めているのだから、チャンと仕事やってくれないと意味無いじゃんと私は切れた。
教える事とは疲れる事なんだ、先生は疲れてこそ先生なんだ。
分っているんか?と怒鳴っていた。

<タイ人は、すぐフクれる>
タイ人を人前で怒鳴ってはいけない。
(日本人も同じであろうが)
何で、外国人のアンタに怒鳴られなければならないんだよーとのアピールの表情があった。
将来先生になろうと思うなら、もっと心を使って一生懸命仕事せんかいと怒鳴っていた。
私の話は拒絶され、彼女の怒りだけが顔に満ち溢れ、私は宙ブラリン状態となった。
その後、彼女と会う機会があった。
こちらから挨拶したが、返事は無く「無視」の敵意だけが返ってくるだけだった。
全くの子供であった。

タイ人は怒りを嫌う。
しかし、悪い時に人から叱られたり、怒鳴られる事も時に必要な事だ。
私は、日本で営業をしていた時に、お客さんの一方的な怒鳴り(会社の別の人間が為したミスであったのだが)に、同じ会社のものとして、只々誤った。
このようなレベルの事が、大方のタイ人に出来るはずもない。
叱られた経験が殆ど無いからだ。
コレでは、物事の良し悪しと正義とは何か、又時に理不尽な罵倒にも耐える局面が、人生には時として有るのだという事が永久に分らない。
叱るとコチラに対して敵意のようなものを自動的に持つ子供じみたタイ人。
これでは、ものごとの振り返りや反省が出来るはずもない。


私は勤務学校内に、敵?を2人も作ってしまった。
3人目は危ないよと、もう一人の私からのささやき声が聞こえた。
ラワーンナァーが又耳の中で鳴り響き始めた・・・

彼女は‘書類見せろよ的な’失礼な態度と姿勢に出た為、
私は腹が立ったが、こころを取り直して、彼女のワーキングデスクの上に置いて、学校を出た。
ゴチャゴチャ言うと、他のタイ人からも嫌われてしまう。
私は、黙って昼頃まで自宅で待つ事にした。

D先生からの指示には、彼女は従わないといけない。
厄介な仕事が飛び込んできたもんやなとの自己中の不機嫌の中に彼女はいた。外国人の面倒を見るのは面倒臭いと考えている節が、タイ人には大いにある。
このような感じは、いずこの勤務校でも感じた。
しかし、もめる道を選ばず、ただただ耐えて来た私であった。

タイ語の進化、タイ人の改めるべき点、など色々と進化してきた私であっても、タイ人からはいつまでたってもよそ者扱いを受ける立場にある。
外国人の私が逃れる事の出来ないこの状態は、果てしなく続いて行く。
外国人だから間違った事を言っているのではない。タイ人の方が改める事も沢山ある。
このような幅広い考え方にどうしてなる事が出来ないのか?

<怒りのタイ語は、なぜか良く通じる>
<コレに関連して→タイ人へ不満を語らないでも良い工夫と自重が要る>
私がタイ語で怒ると、普段通じにくい私のタイ語が格段に通じるようになるのはナゼなのだろうか?
アンタ、そんなタイ語表現知っとんたか、こりゃナメラレへんなコイツは。
の表情が返ってくる。
タイ人が分り易いのは、彼らの気持ちや考えが、手に取るようにまともに表現するからだ。
彼らの顔は、普段はウソのワイで覆い隠されている。
相手に真っ直ぐぶつかって行くと、彼らの心や考え方は、モロに顔の表情となって返って来る。誠に分り易い。
しかし、それは相手から疎まれる事になる事態も同時に生み出すのだ。

しかし、言いたい事も言わずに(タイ語が分らない時は→言えずに)、黙って従うだけの、国境を越えたお付き合いでいいものなのだろうか?
時に自分の気持ちを正直にぶつけてこそ、真の理解が生まれるのではないだろうか?
しかし、この論理が分るタイ人は極めて少ない。
保守的なタイ人は、新しい考え方の導入に極めて消極的である。
自分のペースを他人に影響される事を忌み嫌う。

自分が聞くべき相手は上役や町や村のお偉いさんだけだ。
彼らが成長する為には、外国で暮らす経験を積むしかない。
日本へ旅行に出かける事が出来るタイ人が増えて来た。
日本という国を傍観者的な立場で見たり語るだけでは、タイ人の発展は無い。
日本の国の中に立ち入ってこそ、多くの正しい考え方や判断を手に入れる事が出来る。
外国を旅した日本人は、様々な価値観のメリットBackを日本の国へ持ち帰った。
タイ人は、日本人の海外旅行ブーム(昭和40年〜50年代)時代と同じ時の中にいるものと私は考えている。
外国を旅する人の拡大こそが、タイ人のレベルアップを導き出す事が出来る。
未来のタイに対して、私は大きな希望と安心を持っている事もまた事実である。

<昼1時に再度学校を訪れた>
昼1時に学校を訪れた。
無愛想な彼女ではあったが、仕事はチャンと果たしていた。
私は、ありがとうと彼女に言った。
彼女はチョット驚いた様子を見せた。
最後にはチャンとお礼を言う私=日本人に感心しました風な様子で、私に
頭を少し下げた。
わだかまりをいつまでも引きずらない私の態度が、彼女にどの辺りまで届いたのかは知る由も無いが・・・


10/ 9(金)労働局2日目:労働許可証がようやく手に入った(申請費用1500B+100B)
      「来週の月曜日ネ。」と担当官が言った。
        ビザの失効が近いので
        何卒本日中にお願いします。
        今日夜のバスでバンコク教育省に向かわないといけないので・・・
      と食い下がり、頼んだ。
(時間は3時半だった、4時を越えていれば私の願いは拒否される慣習となっている。たとえ私が困る事態となろうとも、全ては4時までに終了しておかなければならない)
      待つ事30分、とうとう許可証を手にする事が出来た。

10弾のAへと続く・・・

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