タイ国イサーン地方サコンナコン県便り

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zoom RSS 9弾 <わが子溺愛母親><賢い母親となる為には、・・・><タイ人が怒っている時は・・・>

<<   作成日時 : 2009/10/09 22:42   >>

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上記写真:毎年行なわれるサコンナコン第1位の歴史を誇る、ワット・タァーッ・チョーン・チュムお寺建立記念パレード
ブロガー手前味噌記載:ハッキリ言ってオモシロイ、サコンvisit が視野にある方は、このイベントを目指して来られるとイイと思います。


9弾(8弾の2) <わが子溺愛母親>
         <賢い母親となる為には、・・・>
         <タイ人が怒っている時は・・・>



<タイにはこの手のお母さんがとても多い>

母親は時にわが子に盲目だ。溺愛のばか母親。
物事の可否が見える、社会では立派な地位の女性であってもこの傾向から外れる事はない。
わが子を愛するのは、母親として当然である。

しかし、我が子溺愛度合いが高過ぎると、
子供は「母親はいつでも私を守ってくれる。いつでも私の言い分がとおるんだ。」
「何でも、自分の望むように、スキにやっていいんダ。」
と子供は考えるようになる。

酔っ払って暴力を振るうようなレベルの父親の子供は将来不良となる可能性が高い。
こんな「バカ溺愛母親」にも将来の問題人間が発生してくる。

<賢い母親となる為には、冷静な考え方が必要である>
「先生が何故怒ったのか?」
怒った先生を直ちに怒り否定するのではなく、
1歩冷静に下がって、当の子供に‘ただただ聞いて、実際の事実を淡々とかき集める事’が大切である。

それと、この手法はプライド高く保守的な母緒は取らないだろうが、わが子の生徒友達に聞いてみる事である。

先生が、声を荒げて何故怒ったのか。何で私の子供が叱られたのか。
淡々と事実をかき集めると本質部分が浮かび上って来る。
子供の友達に聞く事が躊躇されるなら、
わが子の友達の母親に、それも‘躾上手な女性’に相談してみる事である。
また、担任以外の他の先生方に聞いてみる事も良い対処方法である。
トータルで判断すれば、先生の怒りの意味が見えてくるであろう・・

何で私の子供だけが、苛められたように先生から叱られたんだと感情的なバカ母親にならないようにも・・・

いかに立派な要素を持っていても、タイ人母親にはこのような
「我が子溺愛バカ母親」がトテモ多い。
この事をタイ国内の日本人先生方は知っておく必要がある。

<5弾ブログ「ラワーンナァー・ラワーンナァー」が私の耳中で響いていた「原因」>そう、その子供にチョット大きめの声を出して注意しただけで、その年長児は
母親に助けを求めて大声で泣き出し始めたのである。

理解は悪くない。どちらかと言うと出来る児童の部類に入る。
しかし、ワガママ性格であり、都合が悪いと‘泣き出す’お達者児童の要素も持っている。

いつもの事で慣れっこの私も、連日の疲れの結果、気分が良くなかった。
この子供の「ウソ泣き的泣き方」にも、ウンザリしていた。

何で、自転車で30分近くかかって来ている私にこんな我儘が出来るんだと、
私は、一向に泣き止もうとしない子供に「泣きたかったらもっと泣きなさい。」とタイ語で、言い放った。
賢明な母親なら、
先生、ちょっと失礼します。
わが子を、家屋外又は別室に連れて行き、先生と話し隔離した上で、子供を諭す行動を取るであろう。

こんなトッサの素晴らしい行動が取れる母親は、
日本を含めても、極めて数少ない事ではあろうが。
エゴ的怒りさえ断ち切りれば、きっとアナタもいい母親になれる事であろう。
読書をしたり、見聞を広める努力をしていないと、トッサの時に間違ったreaction をしてしまうのが人間だ。
適切なreaction が出来る為には、それまでの準備蓄積が無ければならない。

格闘技で言えば、組み手練習を積まない者に実際の組み手は出来ない。
準備とは知識であり、経験であり、反復であり、自らへの反省・振り返りであり、他への感動・発見である。
これらを積んだ人のみが、トッサのレベル高き行動・reaction が取れる。
人の話に耳を傾け、人を見つめ観察し、自ら磨きを心がける人しか、立派な対処行動は出来ない。


オザナリのいつもの、「お母さんはあなたが好きよ。」「あなたをいつでも守ってあげるわ。」
光線を子供に発しながらの、「どうか泣き止んでおくれ。」要請タイプの母親が多い。
そして泣き止むその瞬間が来るまで、ダラダラと待ち続けるノダ。
子供の方は、心のどこかで‘しめしめ’‘してやったり’と思っている。
これでは、躾とはなっていない。

子供が‘増長する人間’になる事を後押ししているだけだ。

そして、先生としての私は宙に置いたまま、ホッタラカシだ。
先生に対して失礼な態度ではないかとの認識が欠落している。

叱った先生が悪くて、泣いているあなたは悪くないのよ。
ひどいのになると、私が先生を後で叱ってあげますからにまで発展する。
そこまで実際に至らなくても、レベル低き母親から大きなマイナス評価を頂戴するのだ。

そんな事はよくよく分っているオレであっても、ついに切れてしまった。
時間が経過した今では、仕方が無かったと思っている。

母親の眼が変わった。
何で、アンタまでもがそんな眼でこのオレを見るんだ。

何で、お姉ちゃんのアイコまでもが、一生懸命勉強しないのか。
キャンプ君と付き合うのももうコリゴリだ。
2年近く付き合って、やっと7級レベルだ。私の賢明な忍耐にも限度がある。
しかし、当の生徒に本当にやる気があるなら、私はどんな生徒も教えて行く気持ちがある。

生徒と先生が協力助け合って、共に学んで行く事が勉強というものじゃないのか?
分っているんか(カオチャイマイ、カップ)?
と、怒鳴っていた。
「やる気が無い者にもうこれ以上教えていく事は出来ない。」と言い放っていた。

「先生が我慢して耐えてくれているんだ。」
「私たちは、ワガママ放題で、先生、本当にゴメンなさい、」の感性がこの子達には無い。
それどころか、私が許している状態に、ただただ甘えてダラダラと過ごす作戦を取り出している。
この家に来た当初からソレは続いている。
頭のいいヨンちゃんが、妻も含めて何故、しっかりと諭す事が出来ないのか?
オレの辛さを考えて欲しいと時に思いながらの3ヶ月間だった。

あちこち走り回らないと生きていけない私には、
疲れていてもやらないといけない事が、山程ある。
何で、こんな子供達の為に、心臓の弱ってきだしている体調ダウン気味の私が我慢し続なければならないんだ。
(日本で65〜70キロ前半あった体重が、ナンと52キロまでになっている。
(痩せていますねラインを大幅にオーバーして、問題だと自己認識している。)

私は切れた。

言う事をサッサと素直に聞かない態度が常であるキャンプやダラダラと遊び続けて一生懸命度合いが全くダウンしているアイコ。

この場に至っても、「大きな声を出さないで。」
というだけの母親。

「先生スミマセンでした。
ウチの子は我がままで、自分勝手に突然泣き出し、先生を困らせスミマセンでした。
先生が良ければ、今日はお帰り下さって結構です。
先生のお帰りの後に、この子達にしっかりと言い聞かせますから。
先生、本当に今日は申し訳ない結果となりました。
気分がお悪い結果となりましたが、どうか帰りの道中、危ないですのでくれぐれもお気をつけてお帰り下さい。
また、今日の事に懲りず、明日も教えに来て下さいね。」

このような、日本の賢明な母親のような言葉などない。
いつも30分も遊びほうけてから、ダラダラと始まるソロバン。

私が帰る夜道は、車が多く大変危ない。
疲れた身体にペダルがこたえるようになってきた。

<ヨンちゃんにサインは送ったヨ><でも、反応が希薄化しているヨンちゃん>
ヨンちゃんには、オレの新しい家に習いに来さして欲しいと伝えた。
ヨンちゃんの答え:忙しくて、送って行く人がいない。

2年前のヨンチャンとは全然違う、返事の仕方。
ヨンちゃん自身は、寺に行ったり、飲み会に行ったり、仕事であってもバンコクに出かけたりと店にいない日も多々ある。
何で、ほんの近い場所に引っ越した私の家に子供達を連れて来る時間と人が無いんだと私は納得できなかった。

しかし、恩人ヨンちゃんにはそれ以上言えなかった。

今回のような事態に発展する事をドコカで恐れていた私は、
やはり私の家に連れて来るように出来ないものかと2度目のリクエストをした。
「送って行く人がいない。」との前回と同じ答え。

これから1週間位後に
私は、噴火した!

<タイ人が子供のように怒り狂っている時は、サッサとその場を立ち去る事>
彼と奥さんが経営しているお店に行った。
いつもにこやかに挨拶する奥さんは、全く私を見ようともしない。

失礼な態度である。
タイ人のやり方は、子供じみて幼稚な態度であると、私はそう思う。
しかし、失礼な態度を敢えて表明するのが、タイ人のやり方なのだと、長いタイ生活で私は分っている。
子供のような態度レベルに対して、相手になると逆の恐ろしい?事態が待っている。

タイ人のやり方は、日本の不良少年や町のチンピラのようである。
相手を威嚇し(タイでは、無視という威嚇暴力)、その結果反応してくれば、直ちに「そうかい。それじゃ、相手になってやろうジャン。」と、
どこかで、確実に待ち構えているのが、タイ人なのだ。

粘着質的性格ゆえの事ではない。(タイ人はあっさりとしていて、忘れん坊やさんである)

怒り度合いが高い自らをコントロール(英語ではcool down)するのがはなはだ苦手なのである。
よって、タイ人を怒らせてはいけない。
相手が怒っていれば直ちにその場を立ち去るに限る。
そうすれば、いのちを奪われる事は無い。

自らの怒り感情炎を鎮火するのは、タイ人にとっては大変難しい事なのである。
自分を律し、コントロールするのが、苦手なのがタイ人である。

タイ人を本当に怒らせては、恐ろしい事態が待っている事だろう。
切れるのがタイ人である。
結果、「他の人が発する怒り」を忌み嫌うのだと、私は理解している。

<タイ人は恨み感情が高いと、西洋人ライターが本に書いている>タイ人は恨み感情が高いとある本に書いてあった。
高くて、且つシツコイのだ。
タイ人の誰もがアッサリ性格(クヨクヨ物事を考えることなく、サッサと忘れる)であるのに、このシツコイ性格はどこから生まれてくるのか?

私の答え:タイ人は侮辱され罵倒される事を忌み嫌う。
(全世界の誰でもそうではあろうが)
タイ人はプライドが他の国の人よりも極めて高い。
私はなになに一家の血筋ヨ等に大きくこだわる。
プライドを傷つけられれば、相手にどんな攻撃を加えても良いと、タイ人なら誰もが傷つけられた側を弁護する方に回る。
プライドを傷つけられたタイ人は、シツコク根に持ち続ける。
スコシ我慢する事はあっても、ナガク耐え忍んで行くチカラに乏しい。
耐え忍ぶ道よりも、シツコク恨みを持ち続け、どこまでも自己を弁護し続けてプライドを守り維持し続ける道を選ぶ。
忘れていけないもう一つは、やはりタイ人のハートは、激情型の熱々ハートであると言う事だ。
心のアツサが、相手からプライドを傷つけられてシツコサへと代わって行くのだと、私は理解している。

ヒョッとしたら、ヒョッとしたら・・・
タイ人は、人に対する羨み妬みの感情はそもそも大いにあって、
しかし、それを表に出すと、村社会的なこの国においては自己の暮らしと生存が叶わない。
その半面対処として、
「アッサリ忘れの性向」が身に付いた側面もあるのではないかと私は思っている

<タイ人は短気である>一言でタイ人を語ると、
彼らは‘熱々過ぎるこころの持ち主’‘短気な人々’なのだと私自身は考えている。
ある一点を越えれば、己のコントロール(=己を自制するチカラ)は吹っ飛んで行ってしまい、過激な行動を取る事になる。
そう考えると、私はタイ人に似ているのかも知れない。
但し、自己コントロールと忍耐心はまだまだ彼らには負けてはいないとは思うが。

<タイ人との友情を育む為には・・・>私は、奥さんの店を離れた。
この時の奥さんの態度をヨンちゃんに語りはしなかった。

ヨンちゃんは、
私が叱った事・怒った事で、
雰囲気が悪くなりました。よって、しばらく(10月一杯まで)、休ませますとの話し。
彼が日本人なら、「最近、チョット冷たくなってきてるんと違うの。」
とか何とか、本音を少しでもぶつけているトコロだ。

ヨンちゃんは、日本語のnative speaker ではない。
よって、どこまで行ってもお互いが100%近い理解に達する事は出来ない。
日本語でかゆい所に手が届くようには、決して語り合えない、私の‘苛立ち’がある。

完全な理解に到達するには、互いの経験の類似性・同一性が必要になって来る。
この世は、経験が全てである。
苦労は苦労した者にしか分らない。
お互いが同じ経験を積む事は、永久に無い。
互いの価値観やものの考え方も違う。
物事を進める上での重要度の優先順位も、国が違えば大いに異なる。

今まで知らなかった、それまで考えても見なかった相手の考え方に出会った時、お互いがお互いの溝を努力して埋めていく。
これらを埋め、少しでも補う事が出来る為には、互いの聡明な思考が必要となって来る。
そうなる為には、そもそも互いを愛し、尊敬し合い、認め合う関係でなければならない。

日本語でかゆい所に手が届くようには、決して語り合えない、海外居住者としての‘苛立ち’がある。
海外居住者は多かれ少なかれ、「苛立ち」と「淋しさ」の中で暮らしている。

<家族愛・血の愛><タイ人の多くが楽しそうに暮らしていると映るのは、ナゼか?>
友と過ごすひとときは、かけがえが無い。
思い出には、最終的に相手を許し受け入れる事が出来る大きなチカラがある。

タイ人は、真の友を持ちたいと願望している。
しかし、それはなかなか達成されない事だとミンナが理解している。

これを大きく阻害しているファクターがある。
家族愛=血の愛である。
物事の優先順位の真っ先に家族が来る。
自らも家族が出来た時には、真っ先に自身の家族が優先される。
家族の一員としての、個々人の存在。
このファクターが異様に高い。

日本では、他国に比して自殺者の数が圧倒的に多い。
様々な個々の理由があるが、自殺者が多くなって来ている大きなファクターの一つが、「家族愛」が薄くなって来ている事である。
血の愛は、最後の局面で大きな抑止のチカラとなる。

私はタイに来て、家族愛の素晴らしさに出会った。
家族とは何か?人の一生とは?
この当たり前の事が分っているはずの大人年齢の私であっても、目からウロコの多くの発見があった。
家族が支えあって生きている姿をボーット見ているだけで、心が和んで来る。
長くタイに生活してきた、大きな理由要素の一つである。

家族愛に恵まれなかった人にとっては、家族のありがたさが分かりにくい。
タイへ来れば、間違いなく無数の家族愛に遭遇できる。

タイ人は幸せだなーとしみじみ思うのは、家族愛の存在が大いに関係している。
しかし、血の家族であってもチュアイカン(=互いを助け合う)する事は大変だ。
自己の暮らしと食い扶持が真っ先に来る中で、突然やって来る親戚を助けなければならない。
しかし、人を助けると何かが見え、何かが分って来る。
相手を助ける事により、相手から多くのものを学ぶ事が出来る。
助ける事により、人として成長して行く。

だが、その相手は友ではなく、血の家族なのだ。
立派な異国の友を助ける事より、時にダメな血の家族メンバーを助ける事が優先されるのが、タイでの不文律である。

「友情の育み」の方までには、なかなか手が回っていかない・・・

第8弾記載終了091002
   校正及びアップロード091003/1009




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